garimpeiro

多様な価値観があるということを発信していきます。またそれを実現するためのMein Kampf

実はディアボロの主人格ってドッピオなのでは?

こんにちは。tomo(@tomo_ojyou) です。

 

現在、放送中のアニメ、ジョジョの奇妙な冒険 ~黄金の風~ についにドッピオが登場しました。

見てる方は分かると思いますが、ドッピオとボス(ディアボロ)は二重人格です。

(なぜそうなったのでしょう・・?)

ãããããªãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

✔ ボスとドッピオは二重人格

そもそも、ドッピオとは誰なのか。ザックリと説明ですが、ドッピオは本名ヴィネガー・ドッピオ。普段は内気な青年で、ボスのディアボロと違い、全く残虐性は有しておらず、むしろ引っ込み思案な性格。

ですが、時折ボスの正体がバレそうになるとボスの人格が出てきて、激昂し相手を抹殺します。(スタンドはお馴染みのキングクリムゾンです)

 

ただ、冒頭でも言いましたが、彼らは二重人格者なのですが、どういう経緯でそうなったかは作中でも明らかにされていません(もし知ってたらコメントで教えていただけたらなと‥) 彼の過去のエピソードでそれを推察するしかなさそうです

※ちなみにドッピオは「ダブル」という意味だそうです

 

✔ 本来はドッピオが主人格では?

ドッピオはサルディニア島の教会の神父に引き取られ、養子(?)として育てられました。(そこでトリッシュの母親となる人物と出会ったのですが) 

神父曰く、「どんくさいがサッパリした性格」そして、神父が自宅を改装しようと工事をしてた時、神父がドッピオの母親を床下から発見してしまい、一瞬でしたが彼がが神父を殺害するような描写がありました。

おそらく、この頃から徹底した秘密主義で残虐な性格のディアボロができていたのだと思います。(ドッピオ自身は気づいてないでしょうけど、解離性同一性障害境界性パーソナリティ障害と思ってます)

 

本来の内気な性格のドッピオが、本当は自分を守りたい、強くありたいという意思が明後日の方向にいった結果、暴力的、残忍な人格のディアボロが生まれたのだと思います。ディアボロの人格の際も、自分の秘密を暴かれたくない一心で火消しに奔走するあたりが本来の内気な性格を示しているように思います

 

✔ 主人格のドッピオをもう一人の人格のディアボロが守ろうとしている

さらに、ドッピオが主人格だと思える点があります。

それは、ドッピオが電話で通話する動作をしている際、「ドッピオ、私のドッピオ」とやさしい言葉をかけている点が気になります。

もしかして、単に利用することが目的だったかもしれませんが‥

 

✔ おわりに

解説が多いジョジョ作品にしては、なぜドッピオとディアボロが二重人格になったかの経緯が全く明かされていませんが、いずれにせよドッピオもディアボロも長らくファンの間では魅力的な敵キャラとして語り継がれています。

アニメオリジナルの描写も多い、5部アニメですが、今後も金曜深夜が楽しみで仕方ないです。

 

Auf Wiedersehen

 

 

フーゴの取った行動はチームの中で最も賢明だと思う

こんにちは。tomo(@tomo_ojyou)です。

 

久々のジョジョ記事を更新です。今回は『フーゴが護衛チームを離脱』したことについて、自身の思うところを綴っていこうと思います。

 

✔ なぜフーゴは離脱したのか

そもそも、なぜフーゴは離脱したのか。ザックリとですが、それは、護衛チームのリーダーであるブチャラティが、ボス(ディアボロ)がトリッシュを自分の都合のために始末しようとしたことに、ブチャラティがそういった行為は許せないと感じたからです。

ãããã£ã©ãã£ãè£åã£ããã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

結局、ブチャラティパッショーネを裏切り、ボス打倒のクーデターを起こそうと決意します。

一回目のディアボロ戦の舞台のサンジョルジョマジョーレ教会前で、上のような告白をし、ヴェネツィアを離れることを仲間に伝えます。

それに賛同したのは、最初からパッショーネを掌握、浄化しようと計画していたジョルノ、ブチャラティを高く評価していたミスタ、アバッキオ、ノリでついてきたナランチャです。

 

しかし、フーゴは離脱してしまいました(セリフは下記)

 

ããã¼ã´ å¥ããã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

é¢é£ç»å

 

✔ 僕もフーゴの立場だったと思う

全員離脱した場合は漫画としての話が成り立たないですが、現実はそうだと思います。

中では恥知らず、裏切り者と揶揄されてるフーゴですが、僕自身も同様にフーゴの立場をとると思います。

上のフーゴのセリフを見れば分るのですが、初対面に近いトリッシュに対してなんの恩義もなく、どんな性格かも分からないのに、なぜみんなボスを倒そうと決意するんだろうというのがフーゴの気持ちでしょう。

現実に置き換えていると、今勤めてる会社の社長に決起し、更迭を考えるようなもんですからね。(バイトテロとかでそうなってる会社もあるようですが)

 

※元からパッショーネを掌握し、組織の浄化を図ろうとしていたジョルノは別ですが

 

✔ さすがに分が悪い

漫画の世界だからストーリーがなきゃいけませんが、さすがに一構成員が組織を相手に戦うのは分が悪いです。なにか決定的な武器がなきゃ勝てない戦いだと思います。

 

よほどブチャラティに人望があったのだと思います‥

 

✔ おわりに

今回は当たり前なことを当たり前にかいたので、前半ボリューミーでしたが、後半は尻すぼみでしたね。

でも、僕はフーゴは本当に賢明な判断をしたと思います。なにより、はじめから組織に居場所や自身のアイデンティティを求めていた感じなので、そこまでしてトリッシュを守ろうとしたブチャラティや激しい野望を持つジョルノとは主義思想が違っていたのではないかなと思います

こぼれ落ちそうになりながらも皆さんそこに生きている

こんにちは。tomo(@tomo_ojyou)です。

 

例のごとく、ツイッターを徘徊していたら、下記のツイートが、リツイートで回ってきました。

ちょっとこの人良いこと言うよねって思って、こんなポエムっぽいタイトルにしてみました。

 

 

タイトルの通りなのですが、いかなる立場の人であれ、日常を精一杯生きています。

中には、どうしようもない事情があり食うに困ってる人もいる。

また、自分のように上ばかり見て、自分の実力と目標の差がいかんともし難い場合の人もいる。

 

そういった人も含めて、ある意味で生きてるだけで尊いと思う時はあります。

もちろん、食って寝ての繰り返しでは全く人生は進みませんが、本当にたまには生きてることが尊いと自分で認めてあげなくてはならないのではないだろうかと思います。

 

上記のツイートのように、紛争ではないものの、日本では、毎年3万人の自殺者が出ていると言います。本当にそれを考えると皆さんはギリギリを生きててかつ生き残ってるから素晴らしいと思います。そして、僕もその中の一人なのでよく生きたと自分を肯定したいところですね。

 

着実に日々を生き、やれることを増やします。

 

自分より格下の人(格下だと思ってる)を見て安心している間はどんなに環境を変えても幸せにはならない

こんにちは。tomo(@tomo_ojyou)です。

 

春になったはいいですが、花粉症がキツすぎて、仕事、勉強、生活に支障が出てきてますが、なんとか薬でカバーして耐えてる状況です。

 

今回のテーマは『マウンティング』と言っておきたいです。そもそもマウンティングとは何か。簡単に言えば、他者に自身の優位性を示すという行為です。

参考資料下記

kotobank.jp

 

僕はこれを、下を(自分より下だと思ってる人)見て安心すると解釈しています。ただ、こういった上なら偉い、下なら大したことはないという判断基準をいつまでも持っていると、どんなに行動しても、どんなに環境を変えても幸福感を得ることはできないのではないでしょうか。

 

✔ そもそもなぜ人は下を見て安心するのか

完全に自論ですが、『安全圏』を欲してるのかと思います。人は何かリスクを負う時は不安、恐怖がまず付きまとい、いち早く安全を欲します。

無職になってまず焦るのは明日のお金を考えて、職を求めて手当り次第会社にエントリーするのと似ていますね。

 

自戒も込めてですが‥

結構話が脱線してしまいましたが、自身が不安になる→ダメなやつだ→でもあいつよりマシ→安心するなどという流れを思い出してほしいのですが、自分より社会的ステータスが劣ってる(劣ってると認識している)人を見ると安心しちゃうのは自身が安全圏にいると錯覚してしまうんだと思います。

 

✔ 上か下かの考えじゃ消耗する

結局、上なら偉い、凄い。下なら大したことはないといった単純な人間関係なら本当に友達、親友、恋人ってできないのではないでしょうか。

あいつには勝ちたいという気持ちって成長するには良いですが、これが本当に大きくなると自分より能力やスキルが高い人と遭遇すると嫉妬になり、消耗してしまうと思うんです。

 

✔ 自己肯定感を育みたい

自己肯定感を高めてまず「自分」のこれまでを認めていくことですね。ただ、一朝一夕では自己肯定感というものは育まれません。

自己肯定感が高ければ、周りがどうマウンティングしてこようと全くブレたりしませんし、自分の人生に一生懸命なので他人の経歴には良い意味で気にしません。

 

✔ おわりに

今回のこの記事を書いたのは自身にも下(だと思ってる)を見て安心する傾向があり、自戒も込めて書きました。そういったことは本当によくないですし、単に消耗するんです。

また、視野が狭くなり自分の価値観が凝り固まってしまい、いわゆる『老害』化すると考えています。なので、自己肯定感を育み、本当に自分の人生に真っ直ぐ生きたいですね

 

『覚悟とは、犠牲の心ではない』というセリフは考えさせられる

こんにちは。tomo(@tomo_ojyou)です。

 

最近、自身の好きな漫画(今ではアニメも放送されており、5シーズン目)ジョジョの奇妙な冒険ツイッターを通じて発信することもしています。

この作品の素晴らしいところは、物事に取り組む際の考え方、人種、思想などあらゆるものについて考えさせられるとこえろですね。

今回、この記事でお伝えしたいのは『第5部の黄金の風』のジョルノ・ジョバァーナのギアッチョ戦での名セリフ(下記画像)

é¢é£ç»å

 

詳しいストーリーはコミック参照なんですが、これは、ジョルノの仲間であるグイードミスタが敵であるギアッチョと対峙した際、防戦一方だったの際、ミスタが責任をとろうとヤケになった時に、ジョルノがミスタの『覚悟』を汲んで放ったセリフだと思ってます。

(そのあと、 あの名セリフ「覚悟」とは!!暗闇の荒野に!!進むべき道を切り開く事だッ!) があるんですが‥

 

ただ、僕はこの「覚悟とは~」のくだりより、『覚悟とは犠牲の心ではない』に考えさせられるものがあります。

 

1 犠牲の精神じゃ人は成長しない

やはり僕も犠牲の心だけじゃ自身は成長しないし、人間性というものは育まれないのではないかと思ってます。

なぜなら、文字通り単なる犠牲では自分のためにはならず、他人に尽くしただけにしかすぎないからです。それでは自身の成長なんかに繋がらないのかと思ってます。

事実として、犠牲の心を持って、他人に尽くしてもなにになるんでしょうか。やはり、やけになって犠牲の心をもってことにあたるより、次に繋がる、成長に繋がる意思を持ってことにあたりたいですね。

 

また、犠牲の心ありきの覚悟では、『僕が何かすることにより、多大なる迷惑がかかるんじゃないかという迷い』も生じると思います

 

2 覚悟は結果を受け止める勇気

一見セリフを見たら根性論、精神論のように感じますが、このセリフが多くのファンを惹きつけ、ずっと語り継がれているのは、単なる精神論の類いじゃないというところにありますね。

一見、覚悟は『やるぞ!』っていう、ことに取り組むためのトリガーみたいなものというイメージがあります。もちろん物事に取り組む際は腹をくくってやらなきゃいけないですが、結局長続きしません。 僕なりの解釈ですが、『覚悟』って失敗するか成功するかの結果を受け止める勇気なんだと思います

 

現代はジョジョの世界とは異なり、安全で突然スタンド攻撃なんかされたりしません。ですが、転職、留学、移住、結婚、離婚等、現状や環境を変えるトリガーは何かしらあり、そこにはリスクは付き物です。現状に不満や、どうしても結果が欲しい場合、人は挑戦や変化を欲すると同時にしくじったらどうしようという不安、恐怖が付きまというものです。

ただ、どうしても変化させたい場合は『犠牲の心なしの覚悟』というものを持ってことにあたったほうが、結果はどうあれ納得すると僕は思います。失敗を失敗とも認められるのではないでしょうか

 

3 おわりに

結局、ギアッチョ戦はジョルノとミスタの身を挺した行動により、勝利することとなります。自分が犠牲になって次に繋げるということではなく、自身も生き残り、敵と対峙する。そしてどんな結果になっても受け入れるという覚悟が道を切り開いたんでしょうね

 

※今回は感情の赴くままに書いたんで、日本語が怪しい

 

目標を頑なに目指す生き方はしんどい

こんにちは。tomo(@tomo_ojyou)です。

 

いきなりですが、最近やりたいことや行きたい場所が増え、お金がいるなと思ったり、もっと勉強しなきゃなと思う反面、周囲が結婚ラッシュ、出産、家を購入など変化が目まぐるしくなり、いよいよ自身も腹をくくってそっち方面に関しては行動しなきゃなと思うんですよね‥

ただ、最初に書いたように、やりたいことや行きたい場所が多くなり、どれから手をつけていいのか分からない状況にあり、同時に周りが結婚、出産、家を購入しているけど、本当に自分は今すぐにでもそうしたいのか?と葛藤しています。

 

✔ 目標や夢を持つこと

個人的には、あと2、3年以内に経済的な基盤を安定させたいという思いはあります‥目的はその後かなとという感じです。

また、自身にはなにが足りないのかと考えたとき、『納得感』が足りないという結論に行きつきました。結局、周囲の変化に合わせて自分のやりたいことを辞めて家庭を持つために婚活をしたりということも一つの生き方ですし、自身を貫いて目標達成までグリットするのも一つの生き方だと思います。

 

しかし、先日、思うことがあり、下記のツイートをしました。

要は、周囲の友人、知人、親族の変化に疎外感を感じて自分も周囲に合わせてしまっていることをツイートしたら、そこそこ反響がありました。やはりみなさん、周囲の変化と自身の目標との折り合いについて意識しているんでしょうね。

僕もそうですが、目標を持ってそれに向けて行動することは良いことだと個人的に思ってますが、それはしんどいことだということも踏まえなきゃいけないです。

 

✔ 目標を頑なに貫く姿勢

周囲の変化や言ってることをモノともせず、目標を頑なに貫ける人は実はあまりいないんじゃないでしょうか。

先日ツイートしたなかで、自分がやりたいと思っていることが向いているとは限らないということを改めて思いまして、向かないと分かった時のことを覚悟してやらなきゃ厳しいと思うんですよね。(ツイートは下記)

当然好きなら向いていると錯覚するんでしょうけど、実際やってみたら、全く向いていないということは大いにあります。それは単に夢、目標というものを達成することが美化されてきて、向いていないことに視点が行かないだけなんじゃないかと思うんですよね。

 

✔ でもやりたいことがある場合

でも、やりたいことがある場合は一度やってみて『向いていない』・『向いている』という現実を一度知ったほうがいいと思います。

人生では『納得感』を持って過ごすと悔いというのは少なくなると思いますね。

 

✔ おわりに

目標のあるなしに限らず、実は心の奥では燻っているけど、これが俺の人生だなどと言い聞かせて生涯の幕を閉じるのは僕はしたくありません。

 

『熱中』できるものがない

こんにちは。tomo(@tomo_ojyou)です。

 

表題の通りですが、薄々感ずいてはいて、あまり認めたくはなかったのですが、正直『熱中できるもの』『熱量を持ってやれるもの』というのがこれまで生きてきてなかったと思います。

熱中できるものとしては、フットサル、スノボ等の遊び関連を連想しますが、僕にはそういったものが全く面白さが分からないのです。別にこういった遊び関連のものに限らず、本当に心血を注いでやりたいと感じるものがなく、まずこの事実を認めるところから始めようと思います。

 

まずは、今取り組んでいること、これからやろうとしていることの整理を下記にまとめました。

✔ 今やってるブログ、twitterは?

これに関しては思想の吐き出し、活動記録の備忘的な意味なので、特に熱があるわけではなく、思いついた時に吐き出している、もしくは書いているというところです。

 

✔ 心理学、法律の資料収集や勉強、自治体に向けての勉強

これも好きというと好きで、定期的に図書館に出向き、雑誌や書籍から資料や判例を収集して(コピーして)、要約したりしている。

ただ、これは知的好奇心からくる欲求や、将来の挑戦への下準備って色合いが強く、淡々とこなしているため、『熱量』からくるものとはまたかけ離れていると思います。

また、公務員試験に関しては本当に手段て感じで取り組んでいます。(今のところ、英語くらいしかやってませんが)

 

✔ オフ会の積極参加や、出会い、イベントの参加(ワークショップ)

これはただただ、面白そう、誰に会えるのかという気分の高揚からやってること、そしてブログネタへの取材という色合いが強いのです。

 

✔ おわりに

毎日がルーティン化しており、ちょっと詰まらいなと思い始めているのが正直な感想ですが、やはり今年中に熱中できるなにかを見つけたいと思っています。

やはりまだまだ遊びとか、取り組んでいることが中途半端なのかなとさえ思います。