『飢えなきゃ勝てない』は単なる精神論じゃあない
※読んだ方のみしか分からない記事ですがご了承ください
こんにちは。tomoです(@tomo_ojyou)
現在絶賛放送中の『ジョジョの奇妙な冒険第5部~ 黄金の風』ですが、そこから世界一巡後の第7部の世界。(STEER BALL RUN スティールボールラン) ですが、僕の中で名言中の名言がこれ↓
『飢えなきゃ勝てない。ただし、あんなdioなんかよりずっとずっともっと気高く飢えなくては』なんですが、このセリフが出てきた背景にはスティールボールランレースの最中、聖人の遺体をジャイロが手にしているものの、それを奪おうとdioが迫っているなか、ジョニィがジャイロに対して指摘した言葉です。
ジャイロはネアポリスの国家公務員(代々国家に仕える処刑人の家系)の出、反逆罪で捕まった少年を助けるためにレースに参加、対してdioは純粋に勝利や大金を掴みたいと考えています。
ジョニィ・ジョースターの名言・名セリフ集一覧① │ ジョジョ名言・名セリフ大全集完全版!ジョジョの奇妙な冒険
引用元
第3ステージのゴール前、必ず勝つと奮い立つジャイロに、「君はDioには勝てないッ!」とジョニィは言い放った。ジャイロは人から教えられた技術によって、死刑を告げられた少年を救うために闘う「受け継いだ者」であるのに対し、Dioことディエゴ・ブランドーは馬術も地位も全てを奪い取ってきた「飢えた者」。その差をジョニィは指摘したのだ。
✔ 飢えた者という内的要因
上で書いたように、ジャイロは使命感からくるモチベーション。これは誰かを救いたいという外的要因ですが、対してdioは『勝ちたい』という内からくる純粋な熱量。
やはり、誰かを救いたいというモチベーションで動くことも素晴らしいですが、
自分のために動くことや行動することに勝るものはないと思います。
やはり、言い方は悪いですが自分のためにガツガツいける人はなんらかの魅力を感じますし、人生のストーリーがあるように思います。
✔ 飢えたものは行動も能動的、努力も安定的
自分のために頑張れる人は、能動的で努力も安定的だと思います。
結局、成功するには能力というよりも『計算して努力を継続』できるかなのかと感じます。
一時記のテンションや動揺で、努力を安定的に継続できなきゃ結果って出ないのではないでしょうか。
✔ おわりに
この記事もう一回濃いものに編集したいなと思ってます。
内的要因を保ち、モチベーションを継続することが言語化できていません。
ただ、7部は本当に熱いので読んでみてください。5部の熱さとはまた別の角度ですが
実はディアボロの主人格ってドッピオなのでは?
こんにちは。tomo(@tomo_ojyou) です。
現在、放送中のアニメ、ジョジョの奇妙な冒険 ~黄金の風~ についにドッピオが登場しました。
見てる方は分かると思いますが、ドッピオとボス(ディアボロ)は二重人格です。
(なぜそうなったのでしょう・・?)
✔ ボスとドッピオは二重人格
そもそも、ドッピオとは誰なのか。ザックリと説明ですが、ドッピオは本名ヴィネガー・ドッピオ。普段は内気な青年で、ボスのディアボロと違い、全く残虐性は有しておらず、むしろ引っ込み思案な性格。
ですが、時折ボスの正体がバレそうになるとボスの人格が出てきて、激昂し相手を抹殺します。(スタンドはお馴染みのキングクリムゾンです)
ただ、冒頭でも言いましたが、彼らは二重人格者なのですが、どういう経緯でそうなったかは作中でも明らかにされていません(もし知ってたらコメントで教えていただけたらなと‥) 彼の過去のエピソードでそれを推察するしかなさそうです
※ちなみにドッピオは「ダブル」という意味だそうです
✔ 本来はドッピオが主人格では?
ドッピオはサルディニア島の教会の神父に引き取られ、養子(?)として育てられました。(そこでトリッシュの母親となる人物と出会ったのですが)
神父曰く、「どんくさいがサッパリした性格」そして、神父が自宅を改装しようと工事をしてた時、神父がドッピオの母親を床下から発見してしまい、一瞬でしたが彼がが神父を殺害するような描写がありました。
おそらく、この頃から徹底した秘密主義で残虐な性格のディアボロができていたのだと思います。(ドッピオ自身は気づいてないでしょうけど、解離性同一性障害、境界性パーソナリティ障害と思ってます)
本来の内気な性格のドッピオが、本当は自分を守りたい、強くありたいという意思が明後日の方向にいった結果、暴力的、残忍な人格のディアボロが生まれたのだと思います。ディアボロの人格の際も、自分の秘密を暴かれたくない一心で火消しに奔走するあたりが本来の内気な性格を示しているように思います
✔ 主人格のドッピオをもう一人の人格のディアボロが守ろうとしている
さらに、ドッピオが主人格だと思える点があります。
それは、ドッピオが電話で通話する動作をしている際、「ドッピオ、私のドッピオ」とやさしい言葉をかけている点が気になります。
もしかして、単に利用することが目的だったかもしれませんが‥
✔ おわりに
解説が多いジョジョ作品にしては、なぜドッピオとディアボロが二重人格になったかの経緯が全く明かされていませんが、いずれにせよドッピオもディアボロも長らくファンの間では魅力的な敵キャラとして語り継がれています。
アニメオリジナルの描写も多い、5部アニメですが、今後も金曜深夜が楽しみで仕方ないです。
Auf Wiedersehen
フーゴの取った行動はチームの中で最も賢明だと思う
こんにちは。tomo(@tomo_ojyou)です。
久々のジョジョ記事を更新です。今回は『フーゴが護衛チームを離脱』したことについて、自身の思うところを綴っていこうと思います。
✔ なぜフーゴは離脱したのか
そもそも、なぜフーゴは離脱したのか。ザックリとですが、それは、護衛チームのリーダーであるブチャラティが、ボス(ディアボロ)がトリッシュを自分の都合のために始末しようとしたことに、ブチャラティがそういった行為は許せないと感じたからです。
結局、ブチャラティはパッショーネを裏切り、ボス打倒のクーデターを起こそうと決意します。
一回目のディアボロ戦の舞台のサンジョルジョマジョーレ教会前で、上のような告白をし、ヴェネツィアを離れることを仲間に伝えます。
それに賛同したのは、最初からパッショーネを掌握、浄化しようと計画していたジョルノ、ブチャラティを高く評価していたミスタ、アバッキオ、ノリでついてきたナランチャです。
しかし、フーゴは離脱してしまいました(セリフは下記)
✔ 僕もフーゴの立場だったと思う
全員離脱した場合は漫画としての話が成り立たないですが、現実はそうだと思います。
中では恥知らず、裏切り者と揶揄されてるフーゴですが、僕自身も同様にフーゴの立場をとると思います。
上のフーゴのセリフを見れば分るのですが、初対面に近いトリッシュに対してなんの恩義もなく、どんな性格かも分からないのに、なぜみんなボスを倒そうと決意するんだろうというのがフーゴの気持ちでしょう。
現実に置き換えていると、今勤めてる会社の社長に決起し、更迭を考えるようなもんですからね。(バイトテロとかでそうなってる会社もあるようですが)
※元からパッショーネを掌握し、組織の浄化を図ろうとしていたジョルノは別ですが
✔ さすがに分が悪い
漫画の世界だからストーリーがなきゃいけませんが、さすがに一構成員が組織を相手に戦うのは分が悪いです。なにか決定的な武器がなきゃ勝てない戦いだと思います。
よほどブチャラティに人望があったのだと思います‥
✔ おわりに
今回は当たり前なことを当たり前にかいたので、前半ボリューミーでしたが、後半は尻すぼみでしたね。
でも、僕はフーゴは本当に賢明な判断をしたと思います。なにより、はじめから組織に居場所や自身のアイデンティティを求めていた感じなので、そこまでしてトリッシュを守ろうとしたブチャラティや激しい野望を持つジョルノとは主義思想が違っていたのではないかなと思います
『覚悟とは、犠牲の心ではない』というセリフは考えさせられる
こんにちは。tomo(@tomo_ojyou)です。
最近、自身の好きな漫画(今ではアニメも放送されており、5シーズン目)『ジョジョの奇妙な冒険』をツイッターを通じて発信することもしています。
この作品の素晴らしいところは、物事に取り組む際の考え方、人種、思想などあらゆるものについて考えさせられるとこえろですね。
今回、この記事でお伝えしたいのは『第5部の黄金の風』のジョルノ・ジョバァーナのギアッチョ戦での名セリフ『覚悟とは犠牲の心ではない。覚悟とは暗闇の荒野に進むべき道を切り開くことだ』
詳しいストーリーはコミック参照なんですが、これは、ジョルノの仲間であるグイードミスタが敵であるギアッチョと対峙した際、防戦一方だったの際、ミスタが責任をとろうとヤケになった時に、ジョルノがミスタの『覚悟』を汲んで放ったセリフだと思ってます。
(そのあと、 あの名セリフ「覚悟」とは!!暗闇の荒野に!!進むべき道を切り開く事だッ!) があるんですが‥
ただ、僕はこの「覚悟とは~」のくだりより、『覚悟とは犠牲の心ではない』に考えさせられるものがあります。
1 犠牲の精神じゃ人は成長しない
やはり僕も犠牲の心だけじゃ自身は成長しないし、人間性というものは育まれないのではないかと思ってます。
なぜなら、文字通り単なる犠牲では自分のためにはならず、他人に尽くしただけにしかすぎないからです。それでは自身の成長なんかに繋がらないのかと思ってます。
事実として、犠牲の心を持って、他人に尽くしてもなにになるんでしょうか。やはり、やけになって犠牲の心をもってことにあたるより、次に繋がる、成長に繋がる意思を持ってことにあたりたいですね。
また、犠牲の心ありきの覚悟では、『僕が何かすることにより、多大なる迷惑がかかるんじゃないかという迷い』も生じると思います
2 覚悟は結果を受け止める勇気
一見セリフを見たら根性論、精神論のように感じますが、このセリフが多くのファンを惹きつけ、ずっと語り継がれているのは、単なる精神論の類いじゃないというところにありますね。
一見、覚悟は『やるぞ!』っていう、ことに取り組むためのトリガーみたいなものというイメージがあります。もちろん物事に取り組む際は腹をくくってやらなきゃいけないですが、結局長続きしません。 僕なりの解釈ですが、『覚悟』って失敗するか成功するかの結果を受け止める勇気なんだと思います
現代はジョジョの世界とは異なり、安全で突然スタンド攻撃なんかされたりしません。ですが、転職、留学、移住、結婚、離婚等、現状や環境を変えるトリガーは何かしらあり、そこにはリスクは付き物です。現状に不満や、どうしても結果が欲しい場合、人は挑戦や変化を欲すると同時にしくじったらどうしようという不安、恐怖が付きまというものです。
ただ、どうしても変化させたい場合は『犠牲の心なしの覚悟』というものを持ってことにあたったほうが、結果はどうあれ納得すると僕は思います。失敗を失敗とも認められるのではないでしょうか
3 おわりに
結局、ギアッチョ戦はジョルノとミスタの身を挺した行動により、勝利することとなります。自分が犠牲になって次に繋げるということではなく、自身も生き残り、敵と対峙する。そしてどんな結果になっても受け入れるという覚悟が道を切り開いたんでしょうね
※今回は感情の赴くままに書いたんで、日本語が怪しい
諦めずコツコツと1日を積み上げてきた人にはやっぱり敵わないと思う
こんにちは。tomo(@tomo_ojyou)
1月、2月は寒いせいか、休日は家におり、読書やツイッター、ブログ記事漁りで、時間を潰しています。
やはり寒いと全く動きたくはないし、仮に動こうとしても億劫になってしまいます。とはいっても、暖かくなる春ごろから行動をしてみようかと思います。
そして、今回は行動の話です。
行動といっても、すぐ結果がでるものから、結果が出るのに何か月何年とかかるものまで様々ですが、大抵のものは何年とかかると思います。
そんな中、それにもめげずにコツコツと1日1日を着実に頑張ってきた人はいますし、なによりそういった人って本当に強い
正直な話、差って気が付いた時に絶大なものとなっており、社会的地位、結婚の有無、経済状況などあらゆるところで、差がついてしまい、それを見せつけられる身としては痛い話になってきます
新卒で運良くいい会社に入り、1日1日を着実に生きてきた人とじゃ挽回しようのない差ができてるよね
— tomo (@tomo_ojyou) February 4, 2019
それになるためには、まず第一に環境や人に恵まれなきゃいけないっていう難度の高い課題があるけど
1日1日を着実に積み上げることの大変さよ
— tomo (@tomo_ojyou) February 9, 2019
結果って瞬間的に出ることってなかなかないし、本当にこれ将来的に結果ってでんの?っていう気持ちがところどころでるから、途中で方向転換したくなる
コツコツと積み上げてきた人には何があるのか、下記にまとめました
✔ 研鑽・分析を投げ出さなかった
結局、これなのかなと思ってます。婚活、転職、勉強にしてもそうなのですが、
あらゆるものって『結果』って本当に出ないです。
ただ、彼らは彼女らは研鑽や分析を繰り返して、今よりもいいところへ転職したり、勉強して素晴らしい繋がりを持ったり、様々な異性に出会うように積極的に出会いの場でに行き、行動したのだと思います。
もちろん、それには失敗はつきもので、転職であれば試験に落ち、婚活であればLINEは無視されたり、ブロックされたり散々でしょう。勉強にしても計画通りにはいかなくてイラつくことはあるのかもしれません。このブログだって好きで書いていますが、反応がないときは、あれ?ってなりますからね(ヘイトは勘弁してほしいですが)
そして、失敗する度に逃げださずに現実と向き合い、どうすれば改善するかを考え、トライ&エラーを繰り返してきたのかなと思ってます。
✔ 良い意味で諦めや、身を引くのが早い
若干矛盾するようですが、彼ら彼女らは今やっているやり方に固執はしません。大きなその先の利益を得るために、目先の勝ちにはグッとこらえたり、スッと方向転換をしたりと、その場その場で自分の我をうまく抑制することに長けていると思います。
★ 目先の勝ちに拘った結果を綴った記事
✔ 最終目標にはブレがない
最終目標にはブレがないってのが、彼ら彼女らに共通しているマインドだと思います。
目先の勝ちに拘らず、見切り発車もせずに最終目標達成に向けて日々を積み上げることは、意識レベルでできており、すぐ結果が出ないと言って投げ出さず、淡々と自分のやるべきことにフォーカスしていく。
大抵の人はここで挫折するように思います。人間は安心と刺激を交互にを求める生き物だと思っています。結果が出なかったら、「これは俺には無理だった」と都合よく考え、別のものに方向転換する。方向転換するのはいいが『なぜ失敗したか?なぜ、上手くいかなかったか』これらをちゃんと分析しましたか?と聞きたいです。それをやったうえで、やり切ったのであれば、さっさと諦めるべきでしょう
✔ おわりに
徐々に字数がましてきてますが、1日1日を諦めず、コツコツやってきた人には、本当に敵わないなと思ってます。
SNSが発展した時代に瞬間的な結果、数字を求める人は本当に多くなってきてますが、やはりインスタントな結果って、脆いと思いますね。僕も、40に差し掛かる時のある挑戦、変化に備えて、今は経済的な安定、社会的地位の確立、発信と腐らずに続けていこうと思います。
では、また次回
『今できること』について
普段は定型的に書くのですが、今回は思いのたけを書きなぐる感じにしたいです。
先日こんな記事を投稿しました
要はリスクが多い人生だから、色々片っ端からやろうかなという内容です。
一応、繋がりを求めたりしてるので、思ったことのアウトプットも兼ねてブログの更新ペースを多めにしました。
ただ、最近思うことはやはり『正規』の職に就かなくてはあまり意味がないかなということです。思うというより、その事実に目を背けていたというところでしょうか。
今の仕事がかなりノンストレスであまりガンガン言われないからそう思っていたのだと思います。
人間関係がいいというより、俺自身が契約だから、「こいつはここまでのスキルだ」って認識で接されてるだけだと思う
— tomo (@tomo_ojyou) January 19, 2019
正規だと責任があるから厳しく当たられることがあるが、俺にはそういうのがない。やはり、非正規だから責任てのがそんなになく、厳しくする必要がないってのが本当のところだろう
現に、今の会社は大手で労働組合もあり突然解雇、雇止めといったリスクは少ないかなと思いますし、今の会社での正規を目指して仕事に従事しています。
また、変に中小、零細、ベンチャーで正規に就くより、今の立場のほうがあまりリスクは少ないんじゃないかとも思います
元々、今の会社は、前に勤めていたところを病みそうになり半ば、速攻で退職した時に、『とりあえずどこかで稼がなきゃ』という思いでいたところ、偶然にもスカウトされ、大手だし正規になれば、通常の民間よりも高待遇であり、非正規でも普通に正規並み稼げるからということでオファーを受けました。
しかし、非正規はどこまで行っても非正規です。この事実に目を向けなくてはいけないです
先ほども書きましたが、僕はここでの正規を目指していますが、ワンチャンとしか思っていません。
直近で正規になった方が3年勤務したとおっしゃってましたが、それを考えても僕には3年も非正規ってのはちょっと厳しいかなと‥(一応、上長からの推薦があればなれるそうなので、社内じゃ本当忖度やヘイコラしてます。そういったスキルも勤め人には必要かと)
以上を踏まえ、正規を目指す活動をしていこうかなと思ってます。
『転職活動』をするのか?となりますが、そうでもなく、自治体の職員採用試験を受けていきたいと考えています。
元々、プロフにもあるのですが生活保護、虐待、児童心理、ネグレクトなどについて書籍を読んでアウトプットをしていますし、実際もっとそれについての活動の範囲を広げたいとも考えています。
それが職業レベルでできるのは、自治体でのCWなのかなと思います。ただ、最終目標はもっと先にあって自治体でのCWはそれになるためには経験として必要なのかなと考えています。
※その最終目標には院や試験など、越えなくてはいけない壁が多い。
そして経済的安定を図るためにも、自治体は最適かなと考えました
ただ、その他のことも引き続きやれることは片っ端からやっていきます
では、また次回
「逃走」はリセットでしかない
こんにちは。tomoです(@tomo_ojyou)
最近ようやく、自分のキャリアに向けての考えが落ち着きを見せ、正規に向けての転職、資格試験などの挑戦もしたいという意欲が出てきました。
人生どうなるか分からないので、リスクヘッジくらいはしときたいなと思います。
今回のテーマは『逃げ』です。似たような記事を書いたような気はします。
✔ 逃げは逃げでしかない
地元の北陸から首都圏にきて既に1年。僕は現在、大手企業で契約社員として働いてます。その前は地元密着の福祉施設で働いていましたが、僕はそこを『逃げ』ました。
理由は人間関係と長時間労働です。
よくありがちな理由ですが、僕はこの課題から逃げました。逃げた当初は、やっと解放される、これから俺の人生は好転するとなぜか思ってました。
でも、結局『逃げは逃げ』でしかないと気づきました。その先も何か行動しなきゃ自分の幸せや、成長なんか誰もなにも保障してくれません。
✔ 逃げというリセットの後は行動しかないのかもしれない
ハッキリ言うと、逃げた後も課題って出てくると思うんですよ。人生は続きますんで。
逃げた後、逃げる前にどんな課題が待ち受けているか、対策は余裕があればすればいいですが、課題だけでも想像の範囲内で書いてみるといいかもしれません。
✔ 逃げと臭いものに蓋を閉める行為
よく、SNS上には何かあると、会社、大学を辞めるという人はいます。
それは、今ある現実に目を向けず、『向き合わなきゃいけない課題に対して都合よく解釈しているだけ』だと思います。
あえて言うけど、都合よく解釈して向き合わなきゃいけない課題や事実から戦略的撤退wとか言って逃げんなと思う
— tomo (@tomo_ojyou) September 5, 2018
逃げというより、臭いものに蓋を閉めるだろうけど
逃げというものは、リセットするだけであり、決して前に進んでいることではないです。あくまで手段です。
辛いことがあり、もう無理と感じれば逃げることは手段として使うことは有効的ですが、やはり現実というものは常に付きまといますね
では、また次回