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遅すぎることはない

働き方・貧困についてもう少し多様な価値観があるということを発信していきます。またそれを実現するためのMein Kampf

当たり前といえることが本当にあるのか?

最近、労働にフォーカスした記事を書いてしまいがちだが、今回は心の問題をテーマとして取り上げたい。

表題の通り、「当たり前といえることは本当に当たり前といえるのか?」である。

具体的にいうと…

1.流れとして

僕らは生まれてから、保育所、小中高大(院、短大、専門)に至るまで当たり前のようにご飯を食べ、当たり前のように部活をし、当たり前のように進学や就職をしてきた。進学〜就職までほぼストレートじゃないといけないって風潮の影響だろうけど

2.錯覚がおきる

このことから、多少の苦労や活動をするものの、衣食住、進学や就職の進路は与えられるもの、あるいは当たり前のようにできるものと錯覚してしまう。だが、これはなんら当たり前のことではなく、今ある現状が、自らの大なり小なりの行動から導きだした結果であると自覚しないといけない

例えば
我々現代人の頭の片隅にある、「このまま普通に結婚し、普通に子供を生み、普通にマイホームを購入し、普通に死んでいく」という意識がある。この「普通に…」ということがなぜ言い切れのだろうか。

結婚にしても、彼女や彼氏をつくるために行動しなきゃいけないし、マイホームにしてもお金を稼がなきゃいけない。もしかして、いくら行動しても結婚もできないし、マイホームや子供が授からないかもしれない。という可能性があることをどれだけ意識できるだろうか?

3.現状に感謝できるか?

今の現状が当たり前と思っていたら、些細なことで不機嫌になるし、イライラする。確かに、人間なのでイライラや不機嫌は当然におこる。だが、そのイライラの時間帯をなるべく短くする術は、やはり、現状を当たり前と思わずどれだけ感謝できるかではないだろうか。
僕自身も、大卒後公務員試験を目指し、受からずに遅くれて就職活動をした経験がある。その時に、新卒ならどこかに受かると軽くタカを括ってたが、結果既卒になったが就職できた。やはり心の中に当たり前に就職できるという意識があったのだろう。

なので、当たり前と思い込んでた結果、何も成果を残せなかった際、人は自分の現状を知る。再三言うが、世の中当たり前のことは何もない。

今日はこんなところで…